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二条城の中で「行幸御殿」の発掘調査が行われています。
その現地説明会が行われたので、行ってまいりました。
「行幸御殿」は、後水尾天皇の二条城行幸(1626)の際に造られた建物でだとされています。ただ、遺跡は部分的に江戸時代の終わりくらいまでの様子がわかる状態にもなっていました。
中には、文政の大地震(1830)に倒れたとされる石鳥居の台石もありました。
記録によると鳥居は一つではなかったような気がしますが、石でできていたのは一つでしたでしょうか。。。。僕も記憶があいまいです。。でも、石鳥居の残骸のようなものも端っこのほうにあって、今後の調査が待たれます。
それから、金箔が貼られている瓦も出てきていました。少し触らせてもらいましたが、漆を塗った形跡もあって、伏見城の瓦だというのもうなづけます。
後水尾天皇が二条城に行幸したのは5日間です。
そのために造ったものですが、後水尾天皇という方は、なかなか波乱万丈の人物です。
後水尾天皇は、江戸幕府から禁中並公家諸法度を出された時の天皇で、後に徳川秀忠の子和子を中宮として迎えています。この頃に朝廷の力は徐々に幕府に奪われていくのです。その結果、紫衣事件なども起こり、後水尾天皇は明正天皇に譲位します。
また、後水尾天皇は、前の天皇である後陽成天皇とも仲が悪かったらしく、評判の悪かった陽成天皇になぞらえて「後陽成」の名をおくっています。また、自らは清和天皇になぞらえて「後水尾」と名乗るわけなのです。
江戸時代の始めごろは、二条城も政治的にとても重要な場所でしたが、3代将軍家光以降それほど歴史の表舞台には出てきません。次に脚光をあびるのが、幕末の大政奉還の時です。
この現地説明会の時に、偶然知ってる方にお会いして少しお話しさせていただきました。その時に一致した意見がありました。二条城は、地下鉄や阪急、しかも堀川通と、非常に交通の便の良いところにあるのですが、なかなか来ようと思って来るところではありません。
でも、いざ来てみると、見るものはたくさんあるのです。
やっぱりベタな観光地でも、もう一度見直す必要があるなぁと思いました。
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京都寺子屋塾の塾長です。
大阪出身で、現在は上京区民です。
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