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久々に行ってきました。
そして、久々にいいものに出会えた気がします。
阪急桂駅の南西に、鎌倉期からの土豪・革嶋氏の建物跡が見つかりました。
新聞などにも載っていましたが、江戸期に作られた絵図と合致する部分がとて
も多く、堀の跡もくっきりと出てきていました。
革嶋氏というのは、中世にはこの地の荘官でした。
その後地頭職を得て、この地の領主として成長していきます。
戦国時代には細川藤孝や明智光秀に仕えていました。本能寺の変の時も光秀に仕えていたので、一時領地を没収されていたようですが、後に戻ってきました。
現地は、絵図に描かれている堀の南東角から東側の一部分です。
堀は水堀で、幅5メートル近く、深さも2メートルは超えている大規模な堀だったことがわかりました。絵図に描かれていない堀(室町後期にすでになかったか)も見つかり、これからの研究が待たれるところです。また、土塁の跡は削平されていて、詳しくはわからないようです。
しかし、一土豪がこれほどまでの堀や土塁を築いていたことは驚きです。
この場所は、山陰街道がすぐ近くを通っていて、都の守りとしては要所であったと思います。中世以降、為政者に翻弄されながらも、自分たちの地位を築いてきた革嶋氏や地域の人々の知恵が隠されているのではないでしょうか。
今回の調査では、
これら以外に、竪穴住居の跡(弥生後期か)も見つかっています。
この近くでは、すでに竪穴住居の跡はいくつか見つかっており、元々人々が住みやすい地域であったのかもしれません。現在住んでおられる地元の方は、どう思っておられるのでしょうか。
この日の現地説明会は、かなり多くの人が来られていたと思います。
特に地元の方が多かったようにも思います。
歴史を知ることと、残していくことは、
地元に住んでいる人々にとって、とても大きな意味があると思いました。
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京都寺子屋塾の塾長です。
大阪出身で、現在は上京区民です。
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