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現在、大学入試の中で、学力試験を伴わないテストがいくつかあります。
たとえば、指定校推薦や、AO入試、一芸入試や、課外活動推薦など、大学によって名称や種類は多少異なるものの、国公立私立を問わず、ほとんどの大学で実施されています。特に私立大学では、全体の半数以上が一般入試以外で入学している時代です。
そして、こういった入試方法で入学した大学生の学力低下を防ぐという目的のもと、統一した学力基準を設けるべきという話が出てきました。これが「高大接続テスト」です。
僕個人の意見を始めに書いてしまいますと、根本的に反対です。
理由はいくつかあります。
ひとつめは、そもそも大学とはなんぞやというところです。
学校教育法には、
「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。」(第83条)
「大学は、その目的を実現するための教育研究を行い、その成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。」(第83条2)
とあります。
大学は、学生に対して広く知識を授け、教育研究の成果を社会に提供し、社会の発展に寄与する必要があるのです。大学は、社会の発展の一助とならなければいけません。
実際、大学を卒業した学生のほとんどは、社会に出て働くことになります。大学で学んだことを、直接的にも間接的にも、社会人として活用していくことになります。
つまり、社会の求めている人間を、大学が養成していく義務というのがあるのではないかと思います。そのためには、大学での教育を充実させていく必要があるのです。そして、大学はそれに適する人間を入試という方法でもって集めるのです。
そうすると、大学側が求めている人間というのは、各大学のカラーもありますから、大学がそれぞれ責任を持って決定していかなければいけません。
たとえば、以前僕が立命館大学のキャリア担当の方に、AO入試入学者の学力についてお話を聞いたことがありました。そのお話によると「1、2回生はやはり成績が覚束ない学生もいる。でも3、4回生になると好成績で、就職してからも活躍している学生が多い」ということでした。多少学力が低い学生であっても、入試する側がちゃんとしたアドミッションズポリシーによって入学させているのであれば、学生は伸びていくものと思います。
また、京都産業大学経営学部のAO入学者でも、高校の商業科からの入学者が「外国語や古典などは高校時代あまり勉強していなかったが、簿記やPCスキルは普通の大学生には絶対負けない」という学生もいました。
もちろん、筑波大学や九州大学など、学力低下の懸念からAO入試を廃止していく方向で進めている大学もなくはないです。でも、選択肢を狭めてしまうことこそ、生徒にとっては害があるように思います。
入試方法を、だれかさんの都合でもって大きく変えていくことは、人間育成の画一化につながるだけではなく、社会全体の損失につながるものだと思います。
次の記事に続く。。。
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京都寺子屋塾の塾長です。
大阪出身で、現在は上京区民です。
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