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少し前の話ですが、御所の西、烏丸丸太町からすぐのところにある有栖川宮家の旧邸に行ってきました。
いや、本当の目的はここではなく、平安女学院高校でした。
もちろん仕事の用事があって行ったのですが、ついでに見せていただいたわけです。
この建物は、元々有栖川家の邸宅であったものを、今の場所に移築して、明治時代に京都地裁の所長宿舎として使われていました。所長宿舎としては、昨年まで使用されていました。それをつい最近平安女学院が手に入れられたのです。
さて、中の様子ですが、、
建物は、書院造で、中庭を中心に三つの棟で構成されています。
玄関と、住居用スペース、そして客間です。客間のスペースには、上段の間も作られており、控える板間は能舞台とも言われています。
素人の僕が見てもわかるくらい、柱や梁はとても良い材木で、最高級の仕事をしているように思います。
門はといいますと、平唐門で唐破風の部分はとてもきれいなカーブを描いています。これは有栖川旧邸のものではなく、大正時代に三井家が新築したものを、昭和に入ってから移築したもののようです。この門は、烏丸通に面しているので、外からよく見えます。
門から入って北側には、大きなしだれ桜があります。
これは、秀吉の醍醐の花見の孫木であるといわれています。接ぎ木などではなく、本当の孫木であるともいわれています。
また、この木を醍醐から運ぶように進言したのは、堂本印象であるといわれています。
また、南側の通り沿い(下立売通)には、長屋門がありますが、これはいつ建てられたかまだわからないそうです。おそらく江戸末期以降だと思いますが。
有栖川旧邸は、現在一般公開していませんが、今後一部改修・補強工事を行って使用するそうです。平安女学院としては、市民講座を開いたり、お茶会などもしたいとおっしゃっていました。そういや、平安女学院の理事長山岡先生は、月刊京都の白川書院の社長でしたね。
外から眺めるだけの文化財ではなく、今を生きている私たちのために、もっと有効利用できると嬉しいですね。
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京都寺子屋塾の塾長です。
大阪出身で、現在は上京区民です。
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