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今日日本史の授業をしていて、渡来人の話しになりました。
特に京都と縁のある秦氏については、生徒もわりと気になったようです。
秦氏について。。。
「日本書紀によると応神天皇14年に弓月君(ゆづきのきみ:新撰姓氏録では融通王)が朝鮮半島の百済から百二十県の人を率いて帰化し秦氏の基となったというが、加羅(伽耶)または新羅から来たのではないかとも考えられている(中略)ハタ(古くはハダ)という読みについては朝鮮語のパダ(海)によるとする説のほか、機織や、新羅の波旦という地名と結び付ける説もある。」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
抜き出しても難しいですね。
要するに、弓月君という人が朝鮮半島から渡来人として日本にやってきました。後に帰化して「秦氏」を名乗ったといわれています。
京都では、葛野郡(太秦)と紀伊郡(深草)に土地を持っていたといわれています。とくに太秦は、その名の通り聖徳太子(太)と秦河勝(秦)の所領と縁が深いことが地名をみてもわかります。
僕が昔から気になっているのは「秦王国」です。
『隋書』に記載されているのですが、所在地やその内容に関しては不明です。実際秦氏との関わりもよくわかってないのではないでしょうか。聖徳太子と同時代に存在したようなので、『日本書紀』にその記述があったかどうかまでは知りませんが、僕は結構重大なものではないかとにらんでいます。
渡来人と天皇の関わりや、聖徳太子、大化の改新、壬申の乱など。。。
考え出すときりがないですが、とてもおもしろいです。来週の授業は渡来人と聖徳太子の話しをしようかなー。
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京都寺子屋塾の塾長です。
大阪出身で、現在は上京区民です。
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