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「京都好き」を復活しようと思います。
相変わらず更新頻度は少ないですが、何とか頑張っていきたいと思いますので、どうかよろしくお願い致します。
今日からまじめにブログを書いていこうと思います。
といっても、 毎日更新は難しいと思いますので、
気長に見守っていただきたいと思います。
さて、
今日は4月1日で、いよいよ新年度がスタートしました。
大学の入学式や、入社式など、新生活をスタートされている方も多いと思います。今日の新聞でも、経営統合の会社や製造中止の広告など、社会的にも区切りの日のようです。
僕自身はというと、
それほど何があるというわけでもなく、
塾も、相変わらず春期講習でして、昨日と変わらない一日を送っています。
それでも4月から少し変わることがあるので、またご報告します。
とりあえず、
僕は毎日元気で暮らしております。
これからも
「京都好き」をどうぞ宜しくお願いいたします。
なかなか更新できていません。
受験をいいわけにしたくないですが、
私立高校の受験が一段落したので、こうやって更新できています。
そうはいっても、この忙しい中、
福久朗というハンバーグ屋さんと京都市美術館に行ってきました。
福久朗は、僕が昔ふらっと入って気に入ったお店です。
でもつぶれてなくてよかった。。。
京都にいるのに、十年ぶりくらいに行きました。
店内は、ふくろうの置物などがたくさん並んでいたり、
美術館が近いせいか、
図録などが並んでいます。
僕が以前に来た時よりも、
メニューがたくさん増えていて、お酒も置いていました。
茨城の地ビール「常陸野ネスト」も置いていました。
これはラベルがふくろうなので、置いているようです。
お店の人に聞いてみると、
シェフが代わっておられるようでした。
ハンバーグの味はそれほどかわっていなかったので、
また是非ハンバーグいただきたいと思います。
美術館は、
京都市立芸大の作品展でした。
ここは、この時期にある所謂「卒展」ではありません(その要素もあるでしょうが)。
そのせいもあって、量はかなりあって別館まで使うくらいですが、
僕は本館だけ観にいってきました。
この時期はいろいろな大学の展覧会に行きますが、
やはりちょっとレベルが高いように思います。
うちの塾生にも薦めておきましたが、行ってくれたでしょうか。。。
夜は友達と、
丸太町の焼鳥屋さんに行きましたが、
結構いいお店でした。
あと、、
この日おもしろかったのは、
知らない人に
たくさん話しかけられたことです。
ハンバーグ屋さんでは、
88歳のおばあちゃんにバウムクーヘンをもらいました。
美術館では、
10分ほど人違いされて、
三条まで歩いてると、
二人に道聞かれました。
たいした話しは
してないですが、
知らない人と話すのは、
とても発見が多いのです。
僕の仕事は
かなり閉じた世界でしか動くことがありません。
外の世界を見ることにはある程度努力が必要だと思います。
ただ、
僕はどうも自分の趣味の範囲内だけなので、
もっと頑張って外の世界を垣間見る努力をしないといけないと思いました。
みなさま寒中お見舞い申し上げます。
もう、あけまして、、ではないですからね。
今日でセンター試験は終わりましたが、 高校入試の最初の受験者が、今週にいて、意外と忙しい毎日を送っております。しかしながら、ブログもまた情報発信としては、大事なツールだと考えているので、あまりさぼってはいけないなぁって反省しています。
書きたい内容は、たくさんあるんですが、
もう少し時間ができるように、
頑張ってみたいと思いますので、
本年もどうぞ宜しくお願いいたします。
毎年恒例ですが、行って参りました。
今回は別件でも用事があったので、あやうく行けないかと気をもんでしまいました。
演奏会は相変わらずよかったです。
また、勝手なことを書かせていただきました。。。
一部
コンクールの曲は、まああんな感じでしょうか。シンバルはおあいそですね♪
B組のコンクールの曲はなかなかいいですね。上手い下手よりも、メンバーの結
束を感じました。期待できます。
木星は、かなり難易度高いです。さらに、みんなよく知ってる曲なので、ごまか
せないです。そういう曲をやることは、来年以降につながりますね。
二部
最近、橘はラテンよりもジャズが多いような気がしますね。客演のお二人はさす
がという感じでした。ドラムソロは見たかったかな。。
三部
マーチングは文句なしですね。
パーカッションのパンチ力というか、パワフルさはここ数年で一番よかったんや
ないでしょうか。ちょっとほめすぎ!?
いつも書いていることですが、
橘の演奏会は、とても楽しいです。
技術などを求めるのであれば、プロの演奏を聴けばいいですし、お愛想で行くのなら、知ってる人がいる演奏会だけ観にいけばよいのです。でも、橘はそれを超えても観にいきたいなと思います。
吹奏楽は、
観る人も、演奏する人も
楽しめるものであってほしいものです。
先日ロームの本社に行ってきました。
宗教がどうとかではなく、
単純に綺麗な風景で盛り上がってしまう典型的な日本人です。
イルミネーションでは、おなじみの場所ですね。
まだクリスマスまで時間があるのに、結構な人が来ておられました。
ピカピカするのは、見る前からイメージしやすいのですが、
行ってみると、やっぱり、ぼーっとしてしまうくらい見とれてしまいます。
佐井通りのほうはどうやらLEDではなく普通の電球ですが、
あれはあれでぬくもりのある灯りです。
たしかに最近LEDは流行っていますが、
冷たい印象を受けるのは僕だけでしょうか。。。
まぁ、そういいながらも、
久々に載せた写真は、LEDの電球です。。。
次々に色が変わったり、明るくなったり暗くなったり、
見ていて、ぼーっとしてしまいます。
クリスマスまでまだ日があります。
僕は職場の近くでもいろいろありますし、
毎年行ってる平安女学院も行きたいと思っています。
他にもいいとこあったら教えてくださいね。
変な日本語ですね。。
将軍塚といえばやっぱり夜景です。
バスや地下鉄では行けないところなので、友達にクルマで連れていってもらいま
した。
ただ、
将軍塚の夜景自体は何度も見ていますので、昨日は将軍塚にある青蓮院の飛び地
大日堂に行ってきました。
昨日は本当に寒かったのですが、夜間拝観が昨日までということで頑張って行っ
てきました。
紅葉がほとんど散っていましたが、逆に紅葉のじゅうたんになっていて、とても
綺麗でした。
青蓮院の飛び地である、この大日堂には「将軍塚」があります。
桓武天皇が将軍像を埋めたとされるところですね。
将軍塚まで来て、将軍塚見てない方は多いのではないでしょうか。
ちょっと不便ですが一見の価値ありだと思います。
二条城の中で「行幸御殿」の発掘調査が行われています。
その現地説明会が行われたので、行ってまいりました。
「行幸御殿」は、後水尾天皇の二条城行幸(1626)の際に造られた建物でだとされています。ただ、遺跡は部分的に江戸時代の終わりくらいまでの様子がわかる状態にもなっていました。
中には、文政の大地震(1830)に倒れたとされる石鳥居の台石もありました。
記録によると鳥居は一つではなかったような気がしますが、石でできていたのは一つでしたでしょうか。。。。僕も記憶があいまいです。。でも、石鳥居の残骸のようなものも端っこのほうにあって、今後の調査が待たれます。
それから、金箔が貼られている瓦も出てきていました。少し触らせてもらいましたが、漆を塗った形跡もあって、伏見城の瓦だというのもうなづけます。
後水尾天皇が二条城に行幸したのは5日間です。
そのために造ったものですが、後水尾天皇という方は、なかなか波乱万丈の人物です。
後水尾天皇は、江戸幕府から禁中並公家諸法度を出された時の天皇で、後に徳川秀忠の子和子を中宮として迎えています。この頃に朝廷の力は徐々に幕府に奪われていくのです。その結果、紫衣事件なども起こり、後水尾天皇は明正天皇に譲位します。
また、後水尾天皇は、前の天皇である後陽成天皇とも仲が悪かったらしく、評判の悪かった陽成天皇になぞらえて「後陽成」の名をおくっています。また、自らは清和天皇になぞらえて「後水尾」と名乗るわけなのです。
江戸時代の始めごろは、二条城も政治的にとても重要な場所でしたが、3代将軍家光以降それほど歴史の表舞台には出てきません。次に脚光をあびるのが、幕末の大政奉還の時です。
この現地説明会の時に、偶然知ってる方にお会いして少しお話しさせていただきました。その時に一致した意見がありました。二条城は、地下鉄や阪急、しかも堀川通と、非常に交通の便の良いところにあるのですが、なかなか来ようと思って来るところではありません。
でも、いざ来てみると、見るものはたくさんあるのです。
やっぱりベタな観光地でも、もう一度見直す必要があるなぁと思いました。
更新が滞っています。。。
書きたいことがいっぱいあるのですが、寒くなると動きが鈍くなるのでしょうか。
十日ほど前のことですが、備忘録として書いておきたいです。
これは伏見区の選挙管理委員会主催で「伏見区政治・文化セミナー」として行われている講演会です。京都市のHPには、
「歴史と文化の香りのただようまち 伏見の素晴らしさの再発見」
とあります。
でも本当にそう思います。
伏見は、日本の歴史で人気がある、戦国期と幕末期の両方で重要な場所です。
そういう場所は日本国内でもなかなかありません。
講演会は、大河ドラマ「天地人」の直江兼続や上杉景勝を中心に、伏見や京都との関わりというお話しでした。
洛中の上杉景勝や直江兼続の屋敷には、石碑や案内板が新しく建っています。
でも、伏見の上屋敷の場所が特定できていないということでした。
僕は個人的に、板倉周防の屋敷付近ではないかと思ってますが。。。
最後には、来年の大河ドラマ「龍馬伝」と再来年のドラマも伏見にとても縁があるということでした。坂本龍馬が出て、伏見ははずせないとは思います。
あと、一つ思ったことがありました。
僕はこの日ちょっと遅刻しそうになって、後ろのほうで座ってました。
会場のキャパは200人だったそうですが、最後は立ち見している人も多かったです。
また、僕が座っていたあたりは、野菜を売りに来ていたおばちゃんらがいました。
おばちゃんらは、普段あまり歴史に興味がある感じではなかったのですが、知っている地名や、大河ドラマの中での話しなど、身近なところでは大きくうなづいておられました。
みなさん、おらが町のことは知りたくなるものです。
「いっつも通ってるとこやのになぁ」っておっしゃっていたおばちゃんがいましたが、本当に伏見はそういう場所だと思います。
歴史の触れる機会というのは、身近なところにあると思いました。
京都にいたら当たり前なんですけどね。。。
すでに京都市内は観光客で混み始めています。
でも今年の目玉の一つになるのではないでしょうか。
青蓮院は門跡寺院の一つで、江戸時代に御所が火災に見舞われた時には仮御所
にもなっていたところです。
この青蓮院には青不動と呼ばれる秘宝があります。
今まで一般公開されたことがほとんどなく、青蓮院で公開されるのは初めてのようです。
僕は、どんな感じで公開されるかがとても気になって行ってみました。
単なる文化財ではなく、みなの尊敬を集めるような仏様を見たかったのです。
行ってみると、とても多くの人でごった返していました。
お庭などは簡単に観て、早速青不動のところに行きました。
やはりここは多くの人。。。
でも、ゆっくり拝めました。
やはり、HPなどに書かれているように、
「国宝としての青不動」というよりは
「信仰としての青不動」という力のある絵画でした。
話しは少し変わりますが、
先日、友達と、
仏教美術は「信仰の対象」か「単なる美術品」か
という話しをしていました。
よく話し合われる内容だとは思いますが、やはりこれは論議しなければいけないものだと思います。
また、僕の友達いわく、阿修羅展が東京で大盛況だったことをうけて、あれは人ごみの博物館で見るべきか、静かなお寺の中で見るべきかということもだそうです。これは少しずれた話しでもありますが、案外こういったことを普段考える人は少ないようです。
僕個人の意見としては、、、
どっちでもいい
と思います。
やはり、見る人によって、場合によっては同じ人でも見るタイミングによって、見方が大きく違ってくるので、見る人次第かなと思います。どちらか一方の視点でのみ見るということもないと思いますし。
いろいろな見方で見ることが一番楽しめる方法ではないでしょうか。
そもそも、
どちらか一方の視点しかないということ自体が、最もナンセンスなのかもしれません。
秋の京都は人がいっぱいです。
みなさんそれぞれの楽しみ方を見つけてくださいね。
いやぁー、本当にすごい記録です。
今年は関西から勢いはありましたが、ここまでとは思いませんでした。
でも、見ていて本当に感動しました。
なんせ、僕の好きな駅伝で、
しかも母校の大学が優勝するなんて、
僕が学生時代には思ってもみないことでした。
こうなると、
来年の大会もそうですが、
年明けの都道府県対抗も少し気になるところです。
京都はすでに2度目の5連覇中ですが、
6連覇も夢ではなくなっているような気がします。
(ちょっと気が早いでしょうか。。)
佛大の歴史に新たな一ページを刻んだことはいうまでもなく、
これからの佛大も大きく期待できるものだと思います。
もちろん陸上部はこれからも目が離せません。
感動をありがとうございました!!
これからも、佛大陸上部頑張ってください!!
新選組の屯所は壬生が有名です。しかし大政奉還や坂本龍馬が殺された時、新選組は、壬生ではなく堀川七条を下がったところ、いわゆる不動堂村あたりに屋敷があったといわれています。
今日見てきた石碑ですが、場所は西洞院塩小路の南西角でとてもわかりやすい場所にあります。ハトヤ瑞鳳閣というホテルがある場所です。つい先日建てられた石碑なので、あまりご存知のない方もいると思います。
それどころか、
「不動堂村屯所跡」といえば、リーガロイヤルやないのん?
とおっしゃる方も多いと思います。
たしかに、リーガロイヤルホテルの前にも碑が建っています。
ここには近藤勇の歌碑と簡単な案内板があります。
しかし、僕もここは個人的には少し場所がずれるのではないかと思っていました。
堀川七条下がったところではありますが、堀川通よりも東側ではないかと思います。
ただ「不動堂村屯所跡」はあまり場所がよくわかっていないようなので難しいところです。そもそも、大きな屋敷だったようなので、広い範囲で考えたほうがよいのかもしれません。
どちらにせよ、
僕はもう一つ違和感を感じていたことがありました。
リーガロイヤルにしても、ハトヤ瑞鳳閣にしても、
あんまり宣伝していないような気がします。。。
HPをみると、どちらも碑について書いてありません(ハトヤ瑞鳳閣は最近なので仕方ないでしょうが)。せっかくなので、もう少し宣伝してみても良いのではと思います。
このあたりは、油小路の変や天満屋事件の場所も近いですし、新選組が好きな人にとっては結構歩ける場所だと思うのです。遠方から来られる観光客の方が、新選組にゆかりのある場所に泊まって、近くを散策するというのができる場所だと思います。
来年は大河ドラマも幕末ですし、京都はチャンスですね。
先日やっと行ってきました。
旧池田屋跡に立つ、海鮮茶屋 池田屋 はなの舞です。
単純な感想としては、、、
普通の居酒屋やん!!
って感じです。
たしかに、大階段があったり、だんだら羽織着てたりはありますが、
一貫性がないので、思ったよりも普通やったという感じです。
新選組でいくなら、もっとメニューも凝ってほしかったですし、
なんか、そういうイベントでもやったらええんやないかなと思います。
以前、壬生の最寄り駅、阪急大宮駅すぐ近くの「養老の瀧」が、
新選組仕様になっていたことがありました。
そのときは「勇サラダ」とか「沖田総司からあげ」とかあったように思います。むちゃなメニューやとは思いましたが、それだけでもちょっと注文してみようかなーって思います。今はもう普通の養老の瀧に戻っていると思いますが。。。
まぁ、まだ新しいお店なので、これからあるかもしれないですね。
期待してます☆
それと、誰かもおっしゃっておられましたが、、、
池田屋は元々長州や土佐の浪士がいた場所なので、
そこに新選組の名前が残ることは、原爆ドームにアメリカの旗が立っているようなもののようなものだと思います(ちょっと言いすぎ?)。踏み込んだ側ですからね。
あと、もう一つ、
コースターなどに書かれている絵などの中に、
長州毛利家の家紋「一文字に三ツ星」があります。
新選組に討ち取られた側と、だんだら羽織を一緒に扱われると、少し気分を害する人もいるかもしれません。まぁ、こうやって書いていること自体気分を害する方もいらっしゃるかもしれないですが、それはご了承ください。。。
深く考えなければたいしたことではないのですが、
やっぱりせっかくの良い場所なのですから、
多くの人に池田屋のことを伝えていってほしいと思います。
あ、そうそう、
ホットペッパーも使えるので、また行きますね。。
またまた京都の話題ではなくてすみません。。。
先日、僕の実家高槻の楽しいイベントに行ってきました。
「食の文化祭」は、高槻を盛り上げるために行われたイベントのようです。
「食」という名前ですが、現在高槻ではおなじみのジャズとアートも楽しめるものでした。
僕はお昼過ぎに行きましたが、10月とは思えない良い天気で、日陰にいないと焼けそうでした。でも、たくさんのお客さんがいて、かなり賑わっていました。
会場に行くと、地元を長い間離れているせいか、知らないお店ばっかりです。
一番人気がありそうだった「高槻バーガー」を食べましたが、これはなかなかおいしいです。
お店の人にいろいろ聞いてみたかったのですが、あまりの盛況ぶりにちょっと話ができる様子ではありませんでした。。。
あとは、焼きそばやら、ロールケーキやら、いろいろ食べましたが、どれもおいしかったです。まだまだ高槻にはおいしいお店がありそうです。
高槻は、歴史あり、自然あり、おいしいもんあり、とても良いところです。
もっと高槻が盛り上がってほしいですね。
久々に行ってきました。
そして、久々にいいものに出会えた気がします。
阪急桂駅の南西に、鎌倉期からの土豪・革嶋氏の建物跡が見つかりました。
新聞などにも載っていましたが、江戸期に作られた絵図と合致する部分がとて
も多く、堀の跡もくっきりと出てきていました。
革嶋氏というのは、中世にはこの地の荘官でした。
その後地頭職を得て、この地の領主として成長していきます。
戦国時代には細川藤孝や明智光秀に仕えていました。本能寺の変の時も光秀に仕えていたので、一時領地を没収されていたようですが、後に戻ってきました。
現地は、絵図に描かれている堀の南東角から東側の一部分です。
堀は水堀で、幅5メートル近く、深さも2メートルは超えている大規模な堀だったことがわかりました。絵図に描かれていない堀(室町後期にすでになかったか)も見つかり、これからの研究が待たれるところです。また、土塁の跡は削平されていて、詳しくはわからないようです。
しかし、一土豪がこれほどまでの堀や土塁を築いていたことは驚きです。
この場所は、山陰街道がすぐ近くを通っていて、都の守りとしては要所であったと思います。中世以降、為政者に翻弄されながらも、自分たちの地位を築いてきた革嶋氏や地域の人々の知恵が隠されているのではないでしょうか。
今回の調査では、
これら以外に、竪穴住居の跡(弥生後期か)も見つかっています。
この近くでは、すでに竪穴住居の跡はいくつか見つかっており、元々人々が住みやすい地域であったのかもしれません。現在住んでおられる地元の方は、どう思っておられるのでしょうか。
この日の現地説明会は、かなり多くの人が来られていたと思います。
特に地元の方が多かったようにも思います。
歴史を知ることと、残していくことは、
地元に住んでいる人々にとって、とても大きな意味があると思いました。
最近、滋賀県の美術館や博物館が気になります。
といっても、近くて遠いような滋賀県です。
この日は、守山市にある佐川美術館に行ってきました。
JR守山駅から、最初はレンタサイクルで行こうかと思ったのですが、ちょっと遠そうだったのでバスで行きました。バスでも30分以上かかったので、自転車では少しつらいと思います。
佐川美術館は、その名の通り佐川急便が建てた美術館です。
平山郁夫や佐藤忠良などの作品があります。
そして、ここは何といっても、
近江平野の見晴らしが良いのです。
大きな美術館の建物があり、空がとても広く感じます。
建物は水に囲まれていて、さながら琵琶湖に浮かぶ美術館にも思えます。
僕は佐藤忠良のブロンズ像が良いと思ったのですが、
美術館そのものの雰囲気がとても良かったです。
あと、中のカフェもおいしかったです。
以前、僕の友達などは
「美術館は、喫茶コーナーに入れば全てがわかる」
と言ってましたが、これも少しはうなずけます。
ただ一つ残念だったのは、カフェのコーヒーはイノダコーヒーで、紅茶は三条の紅茶屋さんでした。せっかくなので滋賀県のものを使えばいいのにと思います。
連休中、京都は観光客でごった返しているので、
滋賀県に避難という感じでしたが、
とても静かでのんびりした時間を過ごすことができました。
でも、今晩と明日は、
京都も堪能したいと思います。。
今日は朝からこの近くの高校に用事がありました。
雨が止んだとはいえ、少し荷物が多かったので早く職場に戻りたかったのですが、店の前を通るとどうしても我慢できませんでした。。。
かのう洋菓子店は昔ながらのケーキ屋さんです。
決して今時な雰囲気はなく、大きなショーケースの中に手書きで「ショートケーキ」とか書いてあるお店です。何よりお値段がリーズナブルです。あと、このお店のケーキは全体的に甘めで、僕個人としてはとっても好みです。
その中でもオススメは、チーズケーキです。
上にハチミツがのっていて、正直言ってかなり甘いです。。。
でも、チーズケーキ自体は軽いので、食べたあともさっぱりしています。最近よくあるケーキ屋さんは、洋酒を使っているチーズケーキが多く、子どもに食べさせるには少し気が引けます。でもここのチーズケーキだと食べやすいので、オススメです。
ちなみに、
今日はアップルパイも買いましたが、 職場の冷蔵庫にしまってあります。。。ふふふ
京都にはおいしいケーキ屋さんがたくさんありますが、
子どもが安心して、しかもおなかいっぱい食べられるケーキ屋さんは少ないように思います。
ケーキは、庶民の楽しみとしての方向性も無くしてほしくないと思います。
かのう洋菓子店のようなケーキ屋さんは、ずっとずっと残っていってほしいものですね。
めっきり秋らしくなってきた今日この頃です。
中学生が夏休みをどう過ごしたかが、そろそろ実力に反映される時期になってきました。
高校受験では、偏差値や入試のことばかり考えがちです。でも、学校選びをする時には、実際にどんな学校かをよく知っておく必要があります。
今日は私立中学・高校展に行ってきました。
昨日と今日少しだけのぞいてきましたが、やはり大盛況でした。
各学校がブース形式で、担当の先生方が一人一人お話しされるカタチです。
学校によっては、静かな学校もあれば、大行列になっているところもあります。これをみると保護者や生徒の注目度が一目瞭然です。僕も行く前から「ここは混むやろな」というところは考えていましたが、まあ予想通りといったところでしょうか。
しかしながら、静かなところが良くない学校ともいえません。
京都の私立中学・高校はどちらさんも、とても頑張っておられます。
塾の立場からいえば、
京都の私立中学・高校はどこの学校へ行っても、高い満足度が得られる学校ばかりです。京都に住んでいる小学生・中学生はとても恵まれた環境にいると、本当にいつも思います。
そういうと、
「私立はお金がかかる」とか、
「勉強ばっかりさせられる」とか、おっしゃる方もいます。
少し前までは、そういう部分も否めなかったかもしれません。
しかし、現在では、返済不要の奨学金制度を設けている学校も少なくありませんし、大学受験が軽減される高校などは受験勉強にとらわれない独自のカリキュラムを設けている学校がたくさんあります。
教育事情というのは、社会のニーズに応えるように、めまぐるしく変化します。
偏ったイメージなどで、自分に合った学校を見落とすのは少しもったいない気がします。やはり、自分の目で耳で、学校選びをしてもらいたいものです。
僕も、生徒と学校とのマッチングがうまくいくように、これから全力を尽くさないといけません。ほとんどの人が、人生初めての人生選択です。こんな時代だからこそ、自分の人生に本気で向き合って、考えていってもらいたいと思います。
各学校では、まだこれから秋にかけてオープンキャンパスや学校説明会などが行われていきます。楽しく人生選択していってほしいです。
ブログの更新が途絶えていました。。。
楽しみにしていた方(?)お待たせしました。
やっと仕事も一段落つき、ブログも復活します。
といっても、最近は夏期講習が忙しくて、特に何もしていません。
いや、ちまちまといろいろなことをしていましたが、ブログを書く暇がなかったんです。
とりあえず、今日からは少し落ち着きますし、またお盆明けは忙しいかもしれないですが、これまでほどではないですし、更新も頑張っていきますね。
昨日は6月30日、今年もちょうど半分が終わり、暑気払いの意味も込めて水無月を買ってきました。
毎年ふたばで買っていましたが、昨日は朝から用事が立て込んでいたので、職場の近所の美玉屋さんに行きました。甘めな気がしましたが、僕はこれもまた好きです。
講師の先生と食べましたが、夏がやってくるのか、梅雨がやってきたのか、よくわからないお天気ですね。
僕の実家のほうにも、祓の連絡が神社からありました。
茅の輪くぐりなどのお知らせですね。
うちの実家は大阪府ですが、京都にもかなり近いところなので、文化的にも京都と大阪の両方が混ざっているように思います。
今日7月1日は、祇園祭の吉符入りですし、明日はくじ取式です。
京都の夏が本格的に動き出していますね。
桜桃忌とは、太宰治の誕生日です。
誕生日やのに「忌」というのは、この日は偶然にも遺体が発見された日だからです。特に今年は太宰治生誕100年で、各地でいろいろなイベントなども行われているようです。
ご存知の通り、太宰治は玉川上水で山崎富栄と自殺しました。
奥さんや子どもと暮らしている家から目と鼻の先で自殺するなんてというが人いますが、それはまた別の議論が必要でしょう。。
僕は学生の頃から太宰の作品が好きで、活字になっているものは全て読破している自信があります。大学生の時には、太宰の本を買うために数十万円のローンを組んでしまったくらいです。
でも、よく言われることは、
話し、暗くない?
だらしない男やろ?
自殺したくなるんやろ?
えと。。
全て否定はできませんね。
でも、僕は太宰の作品を読むことで、とっても元気がもらえます。
100周年のひとつだと思いますが、今年と来年で太宰が原作の映画がたくさん上映されます。わりと破滅的な内容の原作ばかりですが、僕個人としては好きな作品ばかりなので、どんな形になるかとても楽しみです。
書きたいことはたくさんありますが、
また、次の機会に、、、
やっぱり一ヶ月くらいかかりましたね。
果たして、これが日本全体の景気にどう影響するのかはわかりませんが、目の前の一万二千円の使い道を考えることで、何かが変わることを信じるしかなさそうです。
そもそも、景気とは、大局的にみる必要はありますが、我々庶民にとっては景気を俯瞰的に見るためであって、実際は自分の身の回りで起こっている出来事をじっくりみるほうが大事だと思います。
みなさんはどういう使い道でしょうか。
おいしいものを食べに行くとか、何かを大人買いするとか、やっぱり貯金とか、生活費になるだけとか、ですかね。。。
せっかくなんで、おもしろい使い方を考えるのですが、思いつきません。
結局僕も生活費の足しになりそうな予感です。。。
ブログ、そろそろまたちゃんと書きますね。
書きたいことはいっぱいあるんですけどね。。。
先日、やっとのことで定額給付金を申請しました。
京都市内でも4月末から口座振込が始まったようです。
実は京都市のHPに、
「定額給付金の給付等の状況」というページがあります。
しかし、、、
見てみても、あまり良い情報とはいえないと思います。
さらに、、、
「振込の概ね10日後に『給付決定兼振込通知書』(圧着はがき)を送付しますので,御確認ください。」とHPにあります。
いやいやいや、、、
振り込んでから10日後に通知されても、たいして意味はないと思います。振込み後っていうのも、一部の人しか必要のない情報ですし、10日後というのでは、いかがなものでしょうか。
僕の知り合いで、ネットワークやデータ処理に詳しい人に聞いてみたのですが、振込み情報などを個人が特定できない状態でも、ある程度公開することや、振り込み後すぐに個人通知することはそれほど難しくないらしいです。。。
「お役所仕事」といえばしょうがないかもしれないですが、定額給付金のことだけでも、どうも無駄遣いが多いように思います。京都市の方々も頑張っているとは思いますが、このへんもしっかりお願いしたいところです。
もらう側として、文句をいうのもどうかと思いますが、元はといえば自分たちが納めた税金です。政治屋の人たちが「くれてやる」というような意識なのもちょっと腹が立つところです。
また、使い道も、ちゃんと考えたほうが良いと思います。
自分にも社会にも役に立つような使い方が必要ではないでしょうか。
まぁ、普段のお金の使い方も見直すきっかけになって良いと思います。
僕はなにに使おっかなぁ。。。
僕は何年振りでしょうか。
実家から近いので、いつでも行けると思っていたら、なかなか行けないものです。
大山崎山荘ですが、やっぱり学生の時と、少し「大人」になった今とでは印象がまるで違います。昔は、建物や美術品の美しさに目がいきましたが、今はもう少し全体的なもの、建物と庭との調和とか、山崎というロケーションとか、そういう違った見方で楽しめました。
今なら、季節的に過ごしやすい時期なので、のんびり楽しむことができます。
行きは、阪急の大山崎から歩いてJRの山崎駅へ
山崎駅からは送迎バスに乗りました。
GW中だったので、お客さんが多かったら歩きたかったのですが、若い人も乗っていたので、遠慮せずに乗ってしまいました。
僕は以前も来たことがあったので、距離的には想像できましたが、
坂はみなさん苦手そうですね。
山荘の中身はいうことありません。
さすが昭和の貴族といったところでしょうが、佇まいはのんびりしていて、とても贅沢です、やはり雰囲気がよいです。
大山崎山荘は、加賀正太郎が自ら設計した建物です。
山崎といえば、現在はサントリーというイメージですが、サントリーから独立?分裂?した「ニッカ」の設立に支援したのが、加賀正太郎でした。その縁もあるのでしょうか。現在はアサヒビールが所有しています。
大河ドラマでもちょうど昨日が本能寺の変でした。
山崎の戦いは、うやむやにされましたが、羽柴秀吉と明智光秀が戦ったのも、この山崎の地です。正確には少しずれるようですが、秀吉軍がこの辺りを通ったことは確かなようです。
大山崎は名所旧跡が多いところです。
時間があれば、もっとゆっくり回ってみたいですね。
群馬県は何回か来てますが、ここは来たくて来れなかった場所でした。
今回本当は草津温泉の帰りに寄るつもりだったのですが、渋滞で断念してしまっていました。
そう思うと高速が千円になって、めっちゃすごい遠出よりも、1、2時間くらいの遠出に役立つような気がします。富岡なら、高速道路沿いで来やすい場所だと思います。
富岡という町は、信州と上州の境目である碓氷峠の上州側です。ここで明治初期に生糸を作る工場が作られました。元々養蚕が盛んであったことと、石炭が近くで取れたことなどが理由だそうです。
富岡製糸場は、官営模範工場で、どちらかというと工場の技術者を養成する場所でした。ですので「ああ野麦峠」のような過酷な労働という感じではなかったようです。ボランティアの方もおっしゃってましたが、女工の多くは士族の娘で、決して身分の低い人ではありませんでした。
また、フランス式の工場だったので、日曜日は休み、8時間労働だったそうです
。
中に入ってみると、、、
きれいなレンガ造りで、明治時代の雰囲気が味わえます。
レンガの積み方はフランドル積みで、いかにもフランス式という感じです。レンガの焼き具合は、かなりばらけているように思いました。
ボランティアの方は「日本ではレンガを焼いたことがなかったからこうなった」とおっしゃっていましたが、僕個人の意見を言わせてもらえば、あれは時間がなかったのであのばらつきになったのではないかと思います。全くのカンですけど。
ちなみに、レンガは富岡の隣町甘楽の瓦職人が焼いたそうです。
煙突は、さすがにコンクリート作りで、当時のものではありませんが、場所はだいたい当時の場所と同じだそうです。錦絵や写真からでも想像できるところです。
あと、
工場内の建物の配置のことで、父親と話していたことがありました。
工場の核となる繰糸場と繭の倉庫はコの字型で中央にありますが、フランス人技師と、女工さんの宿舎などは、少し外側にあります。また、フランス人技師と女工さんの宿舎は、コの字型の建物群のちょうど真逆にあります。
こういったつくりは、現在でもアジアではよく見られるようです。住居スペースと労働スペースを完全に切り離すことで、メリハリをつける意味があるのです。そして、宿舎の距離を大きくとるというのは、いらぬ衝突を防ぐ意味もあったのではないでしょうか。明治初期の日本ですから、外国人に対する目は冷ややかだったと思います。
富岡製糸場は、昭和62年まで実際に操業されていました。
もちろん明治の時代には民間に払い下げられていましたので、模範工場ではありませんでしたが、平成の世になってもこのように管理されていたのは、すばらしいことだと思います。
しかし、観光地として、子どもたちの学習の場としては、まだまだ整備すべきところもたくさんあるように思いました。建物の見学も一部分だけですし、最近まで操業されていたせいか、敷地内にあらゆる時代のものが混在していて、素人目にはわかりにくいと思います。案内板やボランティアの充実など、見学しやすい整備が必要であると思います。
富岡製糸場自体の研究もどこまでなされているかわかりませんが、結構わからないことだらけのような気がします。学術的な研究ももっと進んでほしいと思います。
現在、世界遺産の暫定リストに入り、世界遺産の登録をめざしておられます。近代日本産業のスタート地点である富岡製糸場は、十分にその価値を秘めていると思いますので、たくさんの準備を頑張ってほしいと思います。
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京都寺子屋塾の塾長です。
大阪出身で、現在は上京区民です。
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